街を歩いていて、ふと考えさせられる事がある。
凄い勢いで流れていく雑踏の中で、自分のペースを保つ事の容易でないのと、多様な価値観の人達が暮らす中で、意見を主張する事に、自分の位置の不明確さに不安になったりもする。
この街はその多様な価値観を受け入れ、私のようなマイノリティに対しても寛容であろうとするし、気を抜くと牙を剥いたりするのだから、いずれにしろ緊張が率いられるのだが、そんな時立ち止まって、街のいたる所にその自分の存在のさらなる意味を教えてくれるような物に出会ったりする。
非常に抽象的ながら始まってしまったが、その多様な価値観や言語を超越する、アートに注目してみたいのである。
この街は、まるで彫刻の森ならぬ、彫刻の街ではないかと思ってしまうのだ。
アーティストの作品や古代の物も、美術館に行けば、それは容易にみて感じ取る事はできる。しかし野外にあるオブジェやランドスケープは耐久性も追求しているので、屋内の作品とは違う力強さがある。それを普段一般の人々が行き交う通りやビルの谷間から忽然と現れる、それらが有名無名問わず、そのアーティスト達が作品で主張しかけてくるのである。しかも長く住んでいても知りえないところまで。
だからアートにこの街は寛容だと、終わらしてしまえば、この文章に続く物は無いのだが、私はただそれだけでないように気がするのだ。
オブジェに関して言えば、この街は自由の女神を代表に、機能と目的を超えたブルックリン橋も以前書いたように、アートの粋を越えたアメリカの開拓精神、すなわちスピリッツが色濃く投影されている為に、移民の人達がこの街を通過する時に必ず見たであろう、それぞれは、このアメリカ人に成り得る衝撃的なDNAを増産する効果があったのではないだろうか。
故に、この街で代々生きてきた人々の中で、その言葉を越えたアートに賞賛の声と寛容さを示す事が、結果として加速的に様々なジャンルのアーティスト達に活力を与えていき、この地においてさらなる開花をもたらし、故に未来を過去を含めて全てを昇華した新たな道を生んできたのであろうと思わず推測してしまうのである。
この街では市がやはり80年代から奨励して、建物を造るに当たって敷地内の1パーセントのどこかの場所に、その憩いとなるように、オブジェやランドスケープを組み入れると言った決まりがあったりするのだが、そんな難しい話は置いて、そこの空間を強烈に磁場を発する物が設置されていたり、空気のように意識して見上げなければ絶対に気づかなかったり、遊び心やら、愛溢れるものや、戦い闘争を剥き出しにした、挑発的なものが、それぞれが相反するエナジーを投げかけられてくる。それもニューヨークなのだと思うと、さらに目を開かせてしまうのである。
Tsu_yoshi.
言葉を超えた主張
2008-04-24 10:30:04 (16 years ago)
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