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ビッグアップルクリエーターズ ウェブログ::時を越えて

時を越えて

この地に憧れる理由は千差万別である。

移民時代人々は自分の国と決別する覚悟によってここに来る事ができた。

やる気さえあれば、今まで貧困に喘いだ生活から、
腹いっぱい飯がありつけるかもしれない、更に頑張れば、
アメリカンドリームが掴めるかも知れないと、心ときめかせたはずである。
自国にいては絶対に這い上がる事が出来ない、
階級や社会の壁を打ち壊すには、大海原を渡る必要があった。

1800年代の後半から1929年までの大恐慌までの時代を
アメリカ史上空前の黄金期のニューヨーク。
移民達が、初めて降り立った地もニューヨークであった。


1903年にはライト兄弟が飛行機を飛ばす事に成功し、
ヘンリーフォードが大衆向けの自動車の生産に成功した。
近代建築の進歩により、高さ競争が始まりだした。
ここの地に関わった移民達は、近代化を自分たちで成し遂げた事に
自信とさらなる希望を持ち始めた。


そして、勿論日本人も多くの移民がこのアメリカに渡っていた。
そんな彼らは貧しい労働階級と見なされた。
時は1904年の日露戦争において、日本帝国海軍が
ロシアバルチク艦隊を全滅させてしまう快挙により
一躍近代化を遂げた日本に欧米諸国が注目しだす。
その年に一人の日本人がやってきた。彼の名は野口英世。 細菌学者である。

彼はロックフェラー大学において、梅毒等の細菌の研究に取り組んでいく。その当時のアメリカ医学会は完全な白人至上主義により、差別などに悩まされたに違いない。

rockefeller-unv-1.JPG

彼もまた会津の最貧困家庭に生まれた。東京に出てからも田舎者と
馬鹿にされた経験がこのアメリカでも生かされた。
くだらない人間の縄張り意識、差別意識など脆ともせず、
研究所で寝泊まりし、誰よりも遅くまで研究し、
驚異的な集中力と活動は、学者ならずとも、
世間の人々からも一目置かれる存在となっていく。


そうした努力は当時ドリーマー達の共通項でもあった。
トーマスエジソンしかり、ヘンリーフォードなどもしかり、
自分たちが行う研究、発明、開発で世の人々の為に
生活が良くなる事を望んで、立身する事。
その熱意と情熱が一般の人々に共感と感動をあたえていったのだった。
そしてその情熱こそが、世界の常識と生活を変えてしまうほどの、
強烈なものであった。そして彼は、人種の壁を越え
このニューヨークの人々に初めて日本人野口英世の名が知れ渡って行く。


別の話になるが、その知名度を上手く利用したのがアーティストのイサムノグチである。
父親の姓がたまたまノグチであった。(野口英世と血縁関係では無い)
しかし認知されていないのとアメリカ国籍であった為、それ以前までは、アメリカ人の名前を名乗っていた。しかしこのニューヨークで日系アメリカ人アーティストとして、名を売る事に野口の名前を使用する事にどれだけの効果が有るのかを考えるのは、もう既に容易な事であった。
それだけ野口英世の知名度は、一般の人々まで広まっていた。


野口英世を支える莫大な研究費を賄う後ろ盾にロックフェラー財団が関わっていた事、それに最高のスタッフが揃っていた事が彼の成功に寄与するもである。しかしロックフェラーが単なるパトロンでない事を証明するのが、1927年彼がアフリカガーナで亡くなった時におこる。

J-rockefeller.JPG

黄熱病を患って亡くなった人間は、即さま火にかけられ細菌からの感染を防ぐのである。が、彼の亡がらは絶対にニューヨークに戻すと断言した、ロックフェラージュニアによって、合衆国政府および、関係省庁 に働きかけ、棺桶に納められた野口英世は再び、このニューヨークに戻ってくる事ができた。そして葬儀の喪主はやはりロックフェラージュニア自らが執り行うのである。その事からでも、彼が単なる慕われていただけではない事が分る。

そしてサウスブロンクスの、ウッドロー ン墓地に彼は埋葬されている。


一般には公開されていないが、今でもイーストリバー沿いの
ロックフェラー大学図書館入り口に、野口英世の銅像が鎮座している。


dr-noguchi.JPG

その他の名のある学者達は、その図書館内に小さな写真で額に納められている。が、野口英世がロックフェラーから、世界から、ニューヨーク市民からその功績と生き様をたたえる銅像の大きさとその迫力は当時の野口と人々の想いも感じさせる物で、駆け出しの移民の人々に多くの勇気を与えた象徴である事が良く分ったのだった。

Tsuyoshi
www.ba-creators.com


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